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ある程度年齢を重ねると、
自己が踵の皮みたいに自然に硬くなってしまうから、 幾ら自らの柔軟性を信じていても、 受け入れ可能な相手は、(預かり知らぬ形で、) 限定されて来るのかも知れない。 いや、来るようだ。 気がつけば、価値観が近い人ばかりが周りにいて、 その結果、世界が狭くなっていて。 そんなのは嫌だと思ってきたけれど、 どうやらそこからそんなに離れた所にも居ない様だ、 と客観。 それが的を得ているかどうかは、 勿論分かり様もないけれど。 自らの負った傷の多さや深さを見せつけようと、 何故か躍起になる人たちがいる。 そういう人たちは、 「ほうら、こんなに」と進んで傷口を、 かさぶたを剥がしてまで披露しに掛かる。 その事に対して興味も同情も持てないけれど、 それでも、 そこにもし自分が与えてしまった傷があれば、 やはり無関心では居られはしない。 きっと、潔い人間では無いから。 傷ついた事を声高に(情熱的に)主張する人は多く、 傷つけた事を声高に(真剣に)謝罪する人は少ない。 そうであれば、 前者に対しては極力抑制を効かせ、 後者に対しては腰を据えて励む道を取ろう。 痛みや失敗は余り楽しくないけれど、 それを抜きにして真に成長する事は難しい。 先に生きない反省は、その場凌ぎに終始する。 難しいかも知れないけれど、出来れば口にしない方が良い。 時々自分に感謝する事も忘れずに。 自分という容れ物と、そこに入った何かに。 それは、 知る事の能わぬ祖先から脈々と受け継がれてきた血脈。 それが奇跡的に具現化した血肉。 決して一個の閉じた宇宙では無いことに気付き、 その事に感謝しよう。 そして、一歩ずつ歩いて行こう。
by piezou4
| 2016-11-11 17:14
| 雑記
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