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階段を降りると右手にドアがある。
ドアを開けると正面にシンクがあり、その右となりに冷蔵庫がある。 ガーゼのカーテンをくぐって、右手のリヴィング-ダイニングに入る。 ダイニングには食卓があり、家族分の椅子がある。 続きのリヴィングには、大きなソファがあり、コーヒーテーブルがあり、大きなTVがある。 リヴィング-ダイニング共にアンティークの家具や小物が並ぶ。 TVはNHKを映している。 どすんとソファに腰を下ろし、弾みでそのまま横になる。 目の前のコーヒーテーブルの上には、冷めたコーヒーと吸い殻の溜まった灰皿がある。 灰皿の中では、いつもの様に、消しきれなかったタバコが燻っている。 あくびで視界が滲む。 そのまま、さっきまでの夢の尻尾を掴もうとするかの様に目を閉じる。 程なくして、足元側にあるドアが開く。 咳払いか空咳かの一拍を置いて「おはよう」と声がする。 目を開けなくても、洗濯カゴを抱えたおかんだと分かる。 目を開けないまま「おはよう」と返す。 「昨日遅くまで起きてたんちゃう?」 「3時くらいちゃうかな」 そのままおかんは無言で洗濯を干し、僕は夢の尻尾を探し続ける。 仄かな洗剤の香りが心地良い。 少し経って、リヴィングの大きな窓が開き、洗濯物が表に出されるのが分かる。 いよいよ起こされるのも分かる。 「いい加減起きや」 「うん」 「返事だけやんか」 「うん」 「ソーセージ何本食べるの?」 「2本」 タバコに火をつけたスリッパの音が台所へと消えていく。 冷蔵庫が開き、フライパンが五徳の上に置かれ、卵を割る音がする。 僕は夢の尻尾を掴もうと焦り始めるが、程なくしてトースターが「チン」と、高らかに僕の敗北を知らせる。 食卓には良く焼けたトーストと目玉焼きとソーセージが2本とサラダがある。 それに、おとんの朝食時に切り分けられたグレープフルーツかオレンジの残りとヨーグルトがある。 目を開けなくても分かる。 おかんが、まるで離れた部屋にいる人に呼びかけるみたいな大きな声で僕の名前を呼ぶ。 仕方なくゆっくりと起き上がり、緩慢な仕草で自分の席につく。 今でも帰省すると、自分の椅子だった椅子に座る。 対面にはおかんの椅子だった椅子がある。 今でも時々、おかんと二人で酒を飲んだ夜を思い出す。 笑ったり泣いたりしながら話したあれこれを。 時にはおとんがいて、時には兄や弟もいる。 円満だったりちぐはぐだったりする場所。 食卓とは、そういうものなのかも知れない。 胸の中の大事な場所で、開けば眩い光がこぼれるドアが幾つかある。 その中の一つが、目の前にシンクのあるあの光景だ。 それが愛だと気付くまでに、どれだけの時間が必要だったんだろうか。 自分の鈍さが、取り戻せない時間が、共に心に痛い。 それ以外の幾つものドアの先にも愛があった。 振り返れば、優しい色を纏う記憶や光景は愛なのだろうと思う。 今となっては。 今となっては、おかんが座っていた椅子には弟が座る。 時々猫も座る。 キッチンの主もおとんになった。 今となっては。 おかん、誕生日おめでとう。 おかんが歳を取るのを止め、僕らだけが歳を重ねて行く。 その現実に、多分家族の誰もが未だに慣れることが出来ていないけれど。 それでも、おめでとう。 そして、ありがとう。 #
by piezou4
| 2015-09-25 15:30
| 雑記
大きさすら定かで無い出来事があって、
それが白か黒かもはっきりしないままずっと待っていて、 色んなことがどうでも良くなって。 それでも現実にはやる事が沢山あって、 人には心配を掛けたくないから踏ん張って、 その分ひとりになると無力感の過呼吸に喘いで、 それを宥める術を見つけられないまま、 色んなことがどうでも良くなって。 どこでおかしくなったのか、 地点や理由がはっきりすることなんてある筈無いのに、 昔と今が混在する風景にわざわざ足を運んで、 その張力と反力の想像以上のせめぎ合いにあてられて、 色んなことがどうでも良くなって。 このままではいけないと自らを奮い立たせて、 やっとの思いで水から上がる度に水の中から得体の知れない触手が伸びて音もなく足首に巻きつき、 グラスを倒さないで引き抜かれるテーブルクロスの速さで地面に叩き付けられ、 薄れゆく意識の中でまたもや水の中に引き摺り戻される自分を感じて、 色んなことがどうでも良くなって。 穴の開いた心に強く弱気な風が吹く度に高らかに笛の音が鳴って、 それはマイナーで「生きたい」と力強く鳴って、 過去と今との傷んだ結節点を補強するボンドみたいに鳴って、 踏みとどまれる力をいつも与えれてくれて、 だからこそたとえ不細工で不格好でも、 色んなことをどうでも良くは出来なくて。 頑張った分だけ何かがあると、 そう信じて良いんじゃないかな。 僕の来た道。君の来た道。 立ち上がってズボンのお尻の辺りを叩いてひとつ伸びをして、 そして歩いて行こう。 君の行く道。僕の行く道。 #
by piezou4
| 2015-08-24 19:11
| 雑記
月の引力で、澱の様に内に沈むものが軽くなる。
そんな事は起こり得ないと分かってはいても、 そんな事さえ願ってしまう時だってある。 「〜ならば 少しはましだろう」。 そうやって弱い自分を慰める。 そう言うのって、誰にでもあるんじゃ無いかな。 人知れず、ひとり、ひっそりと。 #
by piezou4
| 2015-07-27 18:20
| 音楽
こんばんは。
時として、青臭さは真実を突いている。 大人がそれを認めてしまえば、足を前に出す事が出来なくなる類いの。 でも、それを礼賛する気も無いし、否定する気も無い。 最後のverse、 If I could be who you wanted If I could be who you wanted all the time all the time がとても良い。 それは、叶う事の能わざる儚い望み。 #
by piezou4
| 2015-07-15 00:36
| 音楽
こんばんは。
忘れられた頃、忘れられた場所に。 ◇ 人に伝えたくて生まれた「言葉」は、人に届いて初めて生を得る。 本も同じで、読者が読んで初めて生を得る。 音楽だって同じだし、絵画だってそうだ。 人に届かないという前提で、表現意欲は生まれるんだろうか。 強固な情熱が存在すれば、それも起こり得るのかも知れない。 でも、それがどれだけ長持ちするんだろうか。 どうなんだろう。 分からない。 毎日鏡とだけしか会話が出来ないのであれば、鏡を見る事から離れ、 同じく会話から離れるまでそんなに時間が掛からないのではないだろうか。 もし、コミュニケーションの前提を「双方向性」だとすれば、 たとえ「誰か」に伝えたいという思いがどれだけ強くあっても、 「誰か」を明確に設定せずに放たれた槍投げの様な言葉は、 結果としてコミュニケーションからは逸脱している事になる。 心が通う。 言葉が通う。 発し手と受け手の関係。 そして、その立場の交換。その連続。 どちらにも通じる「何か」が存在し無ければ、 「この空間」に広がりはつくり出せない。 そして、それは「この空間」に限られた事ではない。 「共有」は強いることが出来ない。 だからこそ、「共有」出来た時の喜びは何ものにも代え難いのだろう。 で、僕にはその喜び以上の喜びを思いつく事が出来ない。 #
by piezou4
| 2015-06-22 18:55
| 雑記
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