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by piezou4
| 2020-10-17 16:53
生の意味
病んでいたころ 私には 朝々の霧ですりガラスに透ってくる自然が生の意味に見えた かたすみには 死にぎわの蛾が 白いページをひらいていたりした ぬれた紙で掬われる金魚のように 生のかぎりをはねていた療友もあったが ー ながい病いからとかれてみると 生はどこにでもあり どこででも意味とはぐれていた とさかの赤さ 菜畑の黄 一刷けのタッチにすぎなかった けれど ふとした旅の列車のデッキにたち いまはげしく伝わってくるものがある それは振動からくる それはつながりからくる それは重たい牽引からくる そして それはたえずふりこぼしている死からくる (『階段』1958年)
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by piezou4
| 2019-07-08 16:16
| 雑記
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by piezou4
| 2018-10-26 18:10
| 雑記
いつからだろう、 そこに「持ち時間」という概念が漠然と付き纏う様になった。 「考えずとも」送れる日々。 そして、 「持ち時間」という概念。 これらは相容れない様に思える。 色々から離れた状態で、 何かを想像する5分足らずが、 今は小さな救いになっている様に感じられる。 こういう時期にするこういう事。 何かを繋いで行く為に、 遠近感を取り戻す為に、 改めて束ね直す為に、 必要な息抜き。 または手続き。 #
by piezou4
| 2018-10-16 14:18
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by piezou4
| 2018-08-11 18:05
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